ペンション型修道院

f:id:harugoro:20171109202115j:plain区がやってる宿泊型の産後ケアを受けに、生後50日のモーと一緒にTクリニックに来た。慣れない育児しながら変なおじさんと生活するのにほとほと疲れてしまって、えいっと勢いをつけてやってきた。ぽかぽか陽気の中、バスに40分乗った。
 
着いて早々、早口の助産師さんと面談、基本情報を伝える。流れでお産のときの大変さを話していたら、必要な痛みだったのよ!それを乗り越えてこそ赤ちゃんとの絆も母性も強くなるんだから!と言われる。悔しくて、自分の気持ちやお腹の傷のことを一生懸命説明していたら、ぐっと泣きそうになって自分でびっくりした。私、傷ついてたのか!みたいな。
 
神聖な苦痛、乗り越える価値のある苦痛という古来の考え方があるのはわかる。私も今後、もしかするとそういう考えかたに救いを求めることがあるかもしれない。でもそれは、そうとでも思わなきゃ済んでしまったことを納得できないから。それだけ。それ以外の考え方を、事前に選択する自由がなかったからだ。
 
私のお産をざっくり言うとこうだ。
「促進剤でMAXになった陣痛を、飲まず食わずで10時間も耐えたあげくの緊急帝王切開(タテ方向)」
なぜ飲まず食わずだったかというと、促進剤始める前から赤ん坊の心拍が不安定になる瞬間があって、手術と自然分娩のダブルスタンバイでいくことになったから。手術の可能性がある以上は飲み食いできないそうで、点滴だけで長時間の陣痛を耐えるハメになった。結局、陣痛促進剤を徐々に増やしてMAXの量までいっても子どもが降りてこず、そんな中、再び心拍が弱ったので手術に踏み切った、ということらしい。
 
あのどうしようもない痛み、促進剤の単位が増えてすぐの絶望的な苦痛、終わりが見えないストレスは忘れられない。しかもそれって薬で人工的に苦しまされてるわけだ。
手術になったことで、苦痛に耐えた時間が一気にムダになり、醜い消えにくいタテ方向のキズができてしまった。悲しかった。あんなに長く苦しむ必要あったのか、自然分娩にこだわらずすぐ帝王切開で良かったんじゃないか、切るにしてもなぜ横方向にじゃなかったのか、など、いろいろモヤモヤの残るお産だったのだ。
 
助産師さんにこう言いたかった。
痛みとストレスで衰弱しきった身体で育児を始めなくちゃならないのは私ですよね。産後の体力温存のために、無駄な苦痛はなくしたかった。それなのに、事前に選ぶ権利がなかったから怒ってるんです。当事者の私の意向を無視して、なぜ苦痛の多い自然分娩を最後まで押しつけられたのか。痛みに耐えてこそ喜びが大きいみたいな根性論が大好きな人たち(あなたみたいな)が、育児を代わってくれるんですか?
 
でもやっぱりうまく言えなかった。
 
不満があるならこれからでも病院の人に話をして気持ちを聞いてもらったら、とか謎の提案をされたけど、いやいやいや済んだこと今さら言ってもどうにもならんよと思った。
わけもわからないまま、済んだことにされちゃったから悔しいんだよ。
子供は可愛いけど、お産はやり直したい。マジで。
 
それはそうと、ここの施設は素晴らしい。
理学療法士の女の子、アロママッサージの女の子、臨床心理士の先生。助産師さんたち、キッチンにいる調理師さん、掃除スタッフ。みんな人間的ですごくキビキビしてる。
何となくだけど、DVシェルターってこういう感じかも。いろんな年代の女たちだけで助け合って、子供を育てるコミューン。疲れて傷ついた女たちと、それをサポートするプロの女たちの集まり。一人ひとりにテレビやソファ、バストイレのあるゆったりとした個室が与えられ、プライバシーは完全に守られる。互いに交流してもしなくてもいい。食事は家庭的なキッチンで供され、医師もスタッフも入院患者もそこに来て食べる。
酒タバコ含む薬物、男、セックスは禁止(いや言われてないけど)。外出は許可がいる。病院ならではのそういう潔癖さや、人里離れた感じが、なんとなく修道院のイメージ。
 
モーを産んだ総合病院は、ここと比べてしまうと雑だったなー。あそこが公立学校の合宿所だとしたら、ここはペンション。ある個人の強いこだわりを感じる。陶器のカップで気軽にお茶を汲んで助産師さんが手渡してくれたり、新生児が雑魚寝状態だったり、そこに勝手に入って行って、よその子の脇で授乳や沐浴を自由にするとか。なんか家みたい。
 
ペンションぽいのは、インテリアが何とも言えず80年代初頭モダンて感じだからってのもある。そこもたまらない。でかい造花とか藤城さんの影絵とか、ローランサン、籐の家具、古めかしい感じのメルヘン画など。昔大好きだった衣笠のおばあちゃんの家を思いだした。
 
延泊して、明日にはシャバに帰る。
変なおじさんとの生活、さてどうやって楽しく平和にしていくか?